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渡米-アラサーの決断

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日本の大学を卒業後、2000年に渡米するまで、私は約5年間地方銀行で働いていました。のんびり屋だからなのか、歩き出すのも、初恋も、自分の人生に向き合うのも、人より遅かった・・・。ずっと人任せの人生でした。父親の言うがままに、高校、大学と進み、コネで銀行へ入社、「医者と結婚するのが一番幸せなんだ」と、医者とお見合いもしました。

 

24歳にして気がつきました。このままじゃ、幸せにはなれないと・・・。

 

そこからは、英会話を習い、コンプレックスだった歯並びを矯正し、お金を貯めて、留学を実現するために毎日を過ごしました。自分主導で何かしなければならない、ただただそう考えていました。

 

自分は人生で何がしたいのか、最終ゴールは何なのかまでは、考えておらず、『自分の人生を生きていない現状』から抜け出すことで精一杯でした。

 

あの時、アメリカに来て本当に良かったです。間違いなく、私の人生の分岐点となりました。

 

父親の「おまえ、今行ったら不幸になるぞ!」という半ば脅しのような捨て台詞が忘れられません。十分な資金ができ、いざ渡米となった時はもう28歳だったので、父の論理でいえば、医者との結婚はおろか、行き遅れた挙句、安定した職を自ら捨てるわけですから、当然ですね。

 

一方、母は私のことをわかっていたようです。後に父から聞いたのですが、「今、アメリカに行かせなかったら、あの子は死んだように生きることになる!」と泣きながら父に頼んだそうです。

 

渡米してからは、カルチャーショックな毎日でした。楽しいこともたくさんありましたが、つらい出来事も多く、父の予想通り不幸な瞬間もありました。

  

昨日までやさしくしてくれていたアメリカ人が私の悪口を言いふらし、これ見よがしに意地悪してきたことがありました。「あの子はどんな男とでも寝る!」とか、どう考えても私のキャラじゃないでしょ!というドラマのような噂まで流してくれちゃって・・・、ナイーブだった私はおろおろするばかり。

 

そんな時、こんなことを言ってくれる人がいました。「あなた、認められたってことよ。よろこびなさい。今まであなたを見下してたから、やさしくしてくれてたの。それが同じ土俵に上がってきて脅威を感じてるから、何が何でも蹴落とさなきゃってなったのよ」。

 

アメリカには、人種、文化、習慣、宗教、価値観などが違う多種多様な人たちがいて、びっくりすることばかりでしたが、おかげで視野が広がり、「私は、私らしく、私が信じることをすればいいんだ」と、少しずつ自信が持てるようになりました。

 

人生の伴侶も見つけました。これがアメリカに来て本当によかったと思う最大の理由です。人生の旅はまだまだ続きますが、あの頃と違って今は、自分で行き先を決め、自分の責任を自覚し、旅を楽しめるようになりました。