リトアニア-杉原千畝と十字架の丘
こんにちは!
今日は、昨年7月に訪れたリトアニアへ回想旅に出かけようと思います。
昔、バルト三国を暗記するために、「エストニア、ラトビア、リトアニア・・・」と呪文のように繰り返していたくらいしか関わりのなかったリトアニアです。
2002年、ロサンゼルスのリトルトーキョーに、杉原千畝の像がユダヤ人コミュニティーによって建てられました。私は、縁あって除幕式に立ち合い、「私の父は、スギハラに命を助けてもらった・・・」と熱く語っている人や涙している人たちを前に、いったいスギハラとは何者?と思ったものです。
調べてみると、第二次世界大戦中、在リトアニア領事だった杉原が外務省の命令に背き、ナチスの迫害に瀕していた6千人ものユダヤ人にビザを発行し、日本経由でアメリカに逃したということがわかりました。
杉原が『命のビザ』を必死に書き続けたのがリトアニアだったのです。
さらに私の夫の家族が、リトアニアとひょんな繋がりがあり、昨年、夫に通訳として白羽の矢が立ち、私は無理をいってそれに同行したのでした。
夫が職務をまっとうしている間、私には丸1日の自由時間がありました。宿泊していたのは首都ヴィリニュス。車で一時間ちょっとのカウナスにある杉原千畝記念館に行こうと考えました。
しかし、いろいろ調べていくうちに『十字架の丘』という場所を知り、迷った末に、そちらに行くことにしました。
『十字架の丘』があるのは、カウナスよりさらに遠いヴィリニュスから215キロ離れたシャウレイという街です。ツアーに参加しようと思いましたが、平日で団体ツアーの開催はなく、電車やバスを駆使してたどり着く自信もなかったので、思い切ってプライベートツアーを申し込みました。
通常の団体ツアーだと一人40~80ユーロのところ、プライベートツアーは220ユーロ。もうひとり同行者がいたので、実質ひとり110ユーロ+チップでした。
自由をもとめた戦いに思いをはせる
朝ホテルに迎えに来てもらって、車でシャウレイに向かいました。途中、リトアニアについてガイドさんがいろいろ話してくれました。
印象的だったのは、リトアニアの大統領は女性で、国会議員も半数が女性であること!社会的にも男女平等が確立されているんですね。ちょっと意外・・・。
世界中の願いを引き受ける丘
カトリック信仰から始まった『十字架の丘』ですが、ひとつひとつの十字架を見ると、いろんな願いがいろんな言葉でつづられており、もはやカトリック教徒にかぎらず、世界中の人々の願いを一手に引き受けているようです。
90年代に、ローマ法王がこの地を訪れたことで、世界的に有名になり、持ち込まれる十字架は年々すごい勢いで増え続けているそう。
私たちが訪れたときは、くしくも『リトアニア独立100周年記念』の真っただ中・・・。
少しの時間でしたが、戦いに果てた人たちに思いを馳せ、自由というかけがえのないものを手にしている私たちは、なんてしあわせなんでしょう!と感慨にふけりました。
最後に・・・杉原さんの言葉
厳しい状況下で自分の信念を貫き通した杉原千畝さんの言葉をご紹介します。ビザを渡しながら、ユダヤの人々にこう声をかけたそうです。
「世界は、大きな車輪のようなものですからね。対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません・・・。では、お元気で、幸運をいのります」